落合陽一著『デジタルネイチャー』を読んで考えた話
「現在のAIの隆盛には、契機となった三つのブレイクスルーがある。「並列計算の高速化(計算機資源の潤沢化)」「ビッグデータ(データ量の増大)」「アルゴリズムの改良(並びに研究コミュニティの活発化)」だ。」
(落合陽一『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』p81)
これを武道やスポーツに関していえば、
「身体機能の強化(筋肉・心肺機能の増強)」
「膨大な稽古量(経験値の蓄積)」
「技術の習得・向上・開発(並びに他道場・他チームとの交流活発化)」
という感じになるだろうか。
全て当たり前の話なのだが、ともすれば偏りがちになるから気を付けなければならない。
テクニックでやられたら技術だけ追求するようになったり、パワーに圧倒されたらウエイトトレーニングばっかりしたり、というのはよくある話。
そして稽古量だが、正しいフォームを繰り返す、という量ももちろん必要。
しかし大事なのは、失敗や負けるパターンも含めて、大量の試行錯誤<トライアンドエラー>を繰り返すということではないだろうか。
相手の体格やプレイスタイル、状況など環境条件が千差万別であり、「定まった勝利の方程式」など幻想だろう。
だから稽古量とは、上手くいかないパターンも含めて、多くの異なったデータを集めることだ。
AIはデータセットすると統計的プロセスをへて問題解決を出力してくれるという。
このデータとゴールの関係を表して、「End to End」というようだ。
人間もデータを集めると、脳や感覚や神経やセンスやらで勝手に計算して最適解を出してくれるようになるのではないだろうか。
いわゆる”身体知”と言われるものが、それだと思う。
とはいえ、何でもかんでもテキトーに数をこなせばよいものでもないだろう。
「今AIの分野で求められている才能は、データとデータの関係性に目を付けるセンスだ。そこでは前章で取り上げたような思考実験や、思想的な頭の使い方も重要になってくるだろう。まだ着眼点が活きるのだ。」
(同 p85)
どうすれば上手くいくか、に頭を使うより、
どんなデータを入れたら目的に役立つか、に頭を使うべきなのかもしれない。
問題解決に至るプロセスは身体に任せてしまって、End(練習内容)とEnd(その効果)について深く考えるのが大事だということだ。
私も指導に携わっている武道道場「マーシャルアーツアカデミー」
syutokukan.com
ここでは”身体知”を大事にしている。
上述のような発想が、まさに指導方針だ。