文武両道 臥薪嘗胆

日々の修業や生活の中で考えたことや思ったことを綴っていきます

ものの見方、考え方としての進化生物学

中学時代に数学が苦手だったため、高校は文系クラスに入りましたが、子供の頃は恐竜や天体、化学が好きな少年でした。

最近進化生物学に興味が湧き、本やネットの記事をいろいろ読んでいるのですが、この分野は面白い。

物事の本質をとらえるアプローチの一つとして、出来るだけ物事を抽象化するということがあります。

そういう意味で、まず分類学的な考え方がわかりやすい。
人間について考えるときには、まず現生人類(ホモサピエンス)としてとらえる。
次にヒト属としてとらえ、霊長類として見て、哺乳類として、陸上生物として、脊椎動物として、生物として、惑星地球の地表を移動する有機物として・・・という風にスケールを上げて考えていく。

そしてそこから見えてくる多様性複雑性を、いまこのとき現存している世界を静止的に見るのではなく、大きな流れとして、太古から現代までの流れで考えることが必要になってくる。
そこで進化生物学に当たる。

単純から複雑へ、環境適応、競争と共存・・・
有機生命体の数十億年にわたる壮大な経験のストーリーが感じられる。

もちろん、まだまだ解明されていないところが非常に多い分野ではあるので、神秘や真理を解き明かしているわけではなく、状況証拠的説明にすぎない部分もある。
けれども、様々な社会問題や環境問題、健康問題、人間関係などを考えるとき、この視点が本質をとてもクリアに見せてくれることが多い。

それはヒトが”生物として”どう振る舞うのが自然か、という見方ができるのもありますが、もう一つ、それが生物としてのヒトの問題なのか、『サピエンス全史』で書かれている、認知革命によって獲得した「虚構を信じる能力」によって生み出したものによるものなのかを、見分けることが重要なのだと感じます。

これは別に虚構が意味がない、と言ってるわけではなくて、虚構に基づく問題は人が積み上げてきた文化だったり文明に基づくものだったりするので、そこは歴史的に考えねばならない。
つまり言い換えると、物事の本質を見るときには本能の問題なのか、文化(文明)の問題なのかを分けて考えるべきってことですね。

ちょっと似てるんですけど、感情か理性か、とは全く違う視点でして、感情か理性かで考えちゃうと答えが出ないと思います。
近代の人類はみんなこれやってきちゃってたんじゃないでしょうか。

出来れば今後、もう少し詳しく書いていきたいと思います。

 

「あなたの番です」最終回を見て

毎回衝撃的なラストシーンで楽しませてもらってました。
期待値が上がりすぎてる感はあったので、まぁ想定内レベルのガッカリ感はありましたが、死んだ神谷刑事に遺書(?)ですら「人はいいけど能力は・・・」って言われてた水城刑事が最後におばあちゃん追い詰めたとこは、おぉ!っと思いました。
いや、神谷刑事死んでからずっとカッコよかったよ水城刑事!

最終回のイマイチ感の原因

一部には黒幕の黒島役の西野七瀬さんの演技がイマイチだったから良くなかった、みたいな感想があるようだけど、僕はなーちゃん大好きなのでひいき目が入ってて、ああいうなーちゃん見れたのもよかったなーくらいにしか思ってません。

僕的には、せっかく複雑な人間模様を2クールかけて描いてきたのに、犯人の動機が生来の猟奇的性格だったから、ていうのがしっくり来ない理由な気がします。
と言うか、社長さんが最初のドミノを倒してしまった云々、が一番の真相だと思うので、そこメインで組み立てられてたらもっと良かったんじゃないですかね。

もし猟奇的なものを描くなら、圧倒的に「闇の深さが物足りない」です。
地上波ゴールデンタイムで描けるレベルのサイコパスは、やっぱショボすぎるんですよね。
ここはひとつ、最終回の脚本だけ虚淵玄に書き直してもらうと、うまい酒を飲んで愉悦を味わえそうです・・・

いやウソ胸糞悪いラストになりそうだしやっぱヤメて!

あの人に書かせたら、翔太くんと菜奈ちゃんの愛すらすれ違いの勘違いの偽りにされてしまいそうです。
ヌルいオチだったことでどれだけ救われてるか(笑)

愛について

エンタメ作品だと思うし、何か伝えたい高尚なテーマがあったとは思わないけれど、翔太くんが死んだ菜奈ちゃんを思い出して悲しむシーンとかはグッとくることも多かったので(これは田中圭さんの功績だと思いますが)、最後に語ってた愛について。

「君のは愛じゃない。もし本当に愛なら、それが本当に大切にしてるものなら、同じように人が大切にしてる愛を奪おうなんて思えないんだよ」

聞いたときに、これは完全に反対だなーと思いました。
言ってることはわかりますけどね。そうあるべきだと思いますけどね。

でも現実って、人間に限らず、愛する国や民族、コミュニティーや群れを守るために外敵を殺し、愛する子供を育てるために他の動植物を殺し、領土、縄張りを奪う。
相手にも家族や仲間がいて、愛される存在であるにも関わらず。

そしてそれを正当化するために、勝者・支配者に都合のいい宗教教義や倫理道徳が作られてきたのだと考えると、何もかもがウソくさく感じられて絶望する・・・

愛も徳も仁義礼智も忠孝もどうせ何もかもエゴの正当化だろコンチクショー

・・・すみません取り乱しました。
だから僕は、感情のままに叫んだ翔太くんや、衝動に殉じた黒島ちゃんこそ本質的でいいなーと思うので、「あなたの番です」は最終回も含めていい作品だったなーと思います。

柔道世界選手権2019 5〜〜8日目

重量級選手の背負い投げ

男子90kg級、向選手のしゃがみ背負のキレが素晴らしい。

お互い組み合った状態から投げられているからすごい。
昔で言えば井上康生監督の背負い投げが凄かったが、最近重量級でも背負いのキレる選手が見られていいですね。
100kg級のポルトガルのフォンセカ選手も背負投げが素晴らしかった。

寝業師 濵田尚里選手

女子78kg級濱田尚里中尉の寝技は個人戦団体戦共に圧巻でした。
ひとたびグラウンドになったらもう相手はノーチャンス!一発で決めきるのがスゴイ!
個人戦決勝では惜しくもそのワンチャンスで取り切れなかった為に負けてしまいましたが、2日しか経ってない団体戦で同じ相手を、きっちり一発で押さえ込んでのリベンジには感服しました。

中矢力選手、角田夏実選手も素晴らしい寝業師ですが、腹ばいで防御体制の相手すら確実に一発で仕留め切る濱田選手の完璧さはちょっと別格感が漂ってます。

そして、同じ相手に二度は負けない!っていうのはもちろん誰もが思うところではあるが、実際に出来るっていうのは地力に加え、頭も相当良いのでしょうね。
自分の失敗や相手のつけいる隙を分析できないとなかなかこうはいかない。

圧倒的な大野将平選手

団体戦決勝で再び姿を現した大野将平選手は相変わらず圧倒的で、増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の

すでに実力は抜きん出ていた。

木村がまともな試合をしたのは、前年の全日本選士権決勝の中島正行戦が最後だった。後の木村はあまりにも強すぎて相手と拮抗するということがなくなる。

とか

必殺の大外刈りは、相手がどう動くか、相手が何の技を掛けるか、そういうことは一切関係なく、木村が投げたいときにかければそれでよかった。

とか 

後のライバル松本安市が「全盛時代の木村は勝つのに二分を要したことがない」と発言しているのは大袈裟ではない。

などの記述が頭によぎった。
歴史に残る伝説的柔道家となりうる選手の活躍を目の当たりに出来ているのかもしれない。

 

日本の金メダル数が思ったより少なかった今大会ですが、かつてパワーや体格で語られることの多かった外国勢のJUDOが、素晴らしい切れ味や多彩な技を持つ選手が多くなって、とても見応えがありました。

そして今大会は何と言っても66kg級の激闘でしたね。
ホントに言葉にして陳腐にしたくないので語りませんが、感動でした。

 

 

柔道世界選手権2019 1日目〜4日目

随分更新が空いてしまっていて、今回の世界柔道のことも特に書く気は無かった。

しかし、やはり毎日観ていて色々思う事、感じる事があるので吐き出したいし、どうせアウトプットするならブログに書こうと思いました。

1日目

男子60kg級の二人、高藤選手と永山選手の二人とも負けるとは意外な結果。
3位決定戦で二人の直接対決、今回は永山選手の勝利で終わった。

終了後に永山選手の腕を掴んで掲げて去ったのは高藤さんの清々しいキャラが出てていいのだが、世代交代感が演出されてしまってて今後も五輪代表争いするんじゃないの?いいの?って感じがした。

2日目

女子52kg級は阿部詩選手が下馬評通りの圧倒的優勝。
この子はプレッシャーとかに押し潰されにくそうなタイプですよね。
いささか強引な柔道してるのがどうかと思うが、立ち技寝技共にきっちりやる辺りは素晴らしいと思う。

個人的に柔道スタイルもビジュアルも好みな角田夏実さんはこれでますます五輪厳しそうなのが残念ではあるが・・・

そして男子66kg級。
僕も含め、みんながしたり顔で論評しているが、メジャー競技である柔道で、世界最高の舞台に立っている人たちのことを一般人がどうのこうの言うのがそもそもおかしい。
今回の阿部選手vs丸山選手の戦いを見て、本当に

「これは俺がどうこう言っていいようなもんじゃねぇ・・・」
と思いました。

僕に言えることは一つ。
敗者にインタビューして傷エグるのはヤメてあげて!

松山三四六さんのインタビューは選手を気遣っている感じがとてもありますけど、それでも阿部選手のインタビューは痛ましかったよ・・・
他のしょーもないレポーターだったらどんな惨事だったか・・・

公人とは言わなくてもテレビ露出もそれなりにある有名アスリートだし、そりゃ受け応えする義理はある程度あるだろうけど、あの状況で何も言えるわけねえだろ!

3日目

男子73kg級。
大野将平選手の決勝の相手、試合待ちのあいだ、腕組みして睨み続けていると言う極めて無礼な態度でしたが、大野選手の眼中にねーよ的な佇まいとその通りの決勝戦の内容が素晴らしかったです。

決め技の内股は、あんなに胸が離れてるのになんで投げれるのか意味がわかりません。
普通はあれじゃかからなくて「離れてるから効かんねや!もっと引きつけろ!」って怒られるやつです・・・
軸足が瞬獄殺みたいにスーっと寄ってるのが秘訣でしょうね。怖すぎです。

女子57kg級は一瞬の隙を突いた出口選手の素晴らしい勝利。
ワンミスが命取りのすげぇレベルなんだなぁと思わせる決勝で見応えがありました。

4日目

女子63kg級決勝戦は壮絶でしたね。
喧嘩好きだとか勝ったら踊るなどと言ってたアグベニュー選手が、勝った瞬間に助かった安堵?地獄から生還した喜び?で、泣いて田代選手と抱き合っていたのが印象的だった。
凄まじい激闘だったのは見ていてわかるが、究極の緊張状態だったんでしょうね。

荒っぽい性格とか、勝ってダンス踊るとか、武道精神に反してるのは間違いない。
それを口頭注意するのは簡単だけれども、それで人は変わるだろうか?多分変わらない。
けれどもこういう死闘の果てに、何かを感じたならば、間違いなく変わるんだと思う。

口先だけで「相手を尊重しよう、気遣おう、感謝しよう」というのとは全く違うものを体得したシーンだったと思う。

それこそが、武道の価値なのではないでしょうか。

武道というものの価値、真髄の一部を、今日の試合で見たと思う。

そしてそこまで追い詰めた田代選手、本当にすごかった。

 

今年の世界柔道は歴史に残る名勝負が多すぎです!

 

 

選挙の結果や投票率の低さについて

選挙が終わって、概観

与党有利の大勢は変わらず、しかしながら新興勢力が出現。

良く言えば、社会の安定感に安心を覚え、新風が吹きこむ政治に希望が見える。

悪く言えば、社会が変わらない停滞感と、ポピュリズムに流される退廃感。

見方は人それぞれだけど、僕は後者かなぁ。

一部の民意を反映した一時のムーブメントならいいけど、歴史的規模でヤベー方向に流れ始めなきゃいいんだがなぁ・・・と思う。

50%を切る投票率

昔から抱いている、民主制という国家形態への不信感、不満足感。

民主主義の意義については歴史を学べば、人類の長い営みの中で、少しでもマシな世の中にするため努力した結果、行きついたやり方だというのはわかるし、そこに敬意も払う。

けど今の政治を見れば、どう考えても、もう少しマシなやり方があるはずだろ、と思ってしまうほどに機能不全だろう。

あるいは民主制自体は良くても、選挙という手法に対して有効性、存在価値が疑問になってくる。

僕は選挙権を手にしてから毎回投票に行っているが、友人にも選挙に行かない者は何人もいる。

曰く「現状特に不満が無いから」

  うむ、では現政権に投票しなくては。

曰く「誰に入れても同じ。入れたい人がいないから」

  うむ、では仕方あるまい。自分が立候補せよ!

曰く「選挙なんか行っても何も変わらないから」

  うむ、では仕方あるまい。叛乱だ!新たなる国家を樹立せよ!

曰く「よくわからないから。関心が無いから」

  うむ、では仕方あるまい。専制君主に統治を任せよう!暴君名君は運次第!

 

根本的な答えは上の通りだけど、とりあえずは白票でも投票したらいいのにな。

でないと、

「どうせ投票しねーんだったら選挙権なんざいらねーよな?廃止にするべ」

ってなる日が来るかもしれないんだけどなぁ、と思いつつ。

最近は「国民すべてが政治に関心を持つべき」という考え方を見直すべきなんじゃないかとも思えたり。

みんながみんな、政治のこと考えなくてもいい・・?

たとえば

医学知識や医療技術は優れてるけど経営のことわかってない医者が開業医やっててうまくいってなかったり。

競技では金メダル取ってるけど組織論もビジネスもわからない人たちばっかで幹部固めてるスポーツ団体とか連盟がうまくいってなかったり。

人には向き不向きや得意不得意があって、専門分野以外を無理にやるといい結果にならなかったりする。

ゼネラリストであることが大事だ、という人もいるけど、それだって全般的に見れる、っていう能力でしかない。

結局人は、自身の役割を果たす、っていうことが大事。

そうなってくると、政治に興味が無い、という人に無理やり「興味を持つべきだー!」って言うのも、なんか違う気がしてきている。

その人は政治じゃなくて自分の役割に100%の力を使ってもらうべきかもね、ということ。

ただ、こういうことを考えるときに頭をよぎるのが『銀河英雄伝説』で

人民を害して貶めるような政治家を選出しうる民主制ってダサくね?(意訳)

というラインハルトに対して、

そういう時も結局それは自分らの責任、っつーのがいいんスよ(意訳)

とヤンウェンリーが言い返してて、それが今でも僕の価値観の中でけっこう大きい。

自己責任、というと最近あんまりいい響きがしないが、当事者意識というのかな。

お上がやってることだから俺ら知らねーよ

みたいな態度は情けなくないっすか?ということですね。

政治とかよくわかんねーし基本任せとくけど、ガチであかん時は反対の声上げるで!

くらいの感覚は欲しいし、その時に声上げる手段としての選挙とかは保持しとくためにも、もう少し投票率上げとかなあかんのちゃうかなぁと思う次第です。

 

で、こういうことを選挙前に訴えるならともかく、選挙終わってから言うあたり、自分もまだまだ愚民だなぁと反省する。

いや、さすがに50%切るとは思わんかったし・・・

反省して、未来を改善しよう。

 

 

映画「サバイバルファミリー」感想

知人の勧めで、2年くらい前の映画「サバイバルファミリー」を観た。

突然あらゆる電気の使用が不能になった日本で生き抜く家族を描いた作品。

東日本大震災時の状況なども念頭に置かれた設定や描写なのだろうなぁ、と思いつつ、「北斗の拳」や「太陽の黙示録」などの世界観も思い出したり。

文明を剥がされた現代人はどうなる?という一つの思考実験のきっかけですよね。

たぶん僕はこんな事態が起こった時のために、武道と自転車とマラソンをやってるんだと思います(?)

まぁでも作中でもサイクリストは最強クラスだったし、あながちそういう側面もないとは言えない。
「電気や燃料がなくても、俺たちは自分の脚でどこまででも行ける!」みたいな自信はたぶんああいう状況で強さになると思います。

災害時には食糧や水の備蓄より、サバイバルの技術や知識の方が大事じゃないかと思いましたね。

複雑になり過ぎた現代社会、一度こんな形でリセットするのもいいかもしれない、と考えました。

 

香港の話~個人の信念と忠誠心のはざまで

いま、香港で大規模なデモが起きている。

中国という地域は古代からずっと、地方の民衆反乱から国家転覆したり、政権が弱体化して滅亡したりを何度もやってきてるので、今回もそういう歴史的ムーブメントになりうるかもしれないな、と思って見ています。

ちなみに日本では民衆反乱が国家を変えた例はほとんどない。
既存勢力の勝敗や、クーデターで変わっている。
今回の件で、日本人も立ち上がるべきだ!という意見をよく目にするが、日本には日本にあったやり方を歴史から学んでやらなければならない。

民衆の正義と国家の正義、警察官の立場

今回の件は香港市民に頑張ってほしいと思う。
しかし警察が民衆を弾圧している、ひどい暴力で鎮圧しようとしている、とネット上で騒がれていることについて、僕は少し思うところがあります。

例えば、ゲスな白人警官が無実の黒人をリンチするような悪行は許されることじゃないし完全否定してしかるべき行為です。

しかし「デモを組織(国)の命令に従い鎮圧する」のは完全否定すべき行為だろうか。

警察官は忠誠心のもと、仕事でやっている

たしかに、武力を持たない民衆に警察が実力行使をするのは、弾圧でしょう。

個人的にそれが良くないことだと思うのはまっとうです。僕もそう思います。

一方で治安・秩序の維持、国家体制の存続という正義から見れば、度を超えたデモは鎮圧すべきと考えるのは当然ですよね。

ここで、組織人として(公務員として)上から命令されたときに従わないというのが、果たして正しいかどうか、ということです。

無意味に暴力を振るっている警官(に成りすました人民解放軍?)も多いようですが、真面目に鎮圧してる警官は、仕事をしているわけですね。

僕は友人の勧めがあって警察試験を受けて、筆記試験は通っていました。
柔道も有段者でしたし、警察官になろうと思えばなれたかもしれませんが、辞退してなりませんでした。

自分の正義と組織(国家)の正義がかみ合わなかったときに、組織人として市民を弾圧する側に回ることに抵抗があったからです。

道徳心の話をするときに、忠誠心を考慮しないわけにはいかないと思います。

個人の信念と忠誠心のはざまで

警察官は基本的に、市民の生活を守ってくれている、立派なお仕事です。
友人にも警察官が何人もおり、彼らの仕事に敬意を持っています。

しかし権力装置の一つだという側面もまた認識しておかなければなりません。
普段からこういうことを言いそうなリベラル派とは思想的に距離がある僕ですが、物事はそう単純に右や左、保守やリベラルで分けられるものでもないでしょう。

個人の信念国家や組織への忠誠心、両方とも大事だと思うからこそ、立場ごとに取るべきスタンスが違うことも理解します。

問題は、立場が違う者同士を対立させて漁夫の利を得ているヤツらがいるということです。

それが世界を歪ませているということです。

日本人も、立場の違う者同士でいがみ合っていないで、潰すべき歪みを見据えて戦い方を考えなければならないのだと思います。
それが本当の「立ち上がる」ことだと思います。