文武両道 臥薪嘗胆

日々の修業や生活の中で考えたことや思ったことを綴っていきます

集中力の高め方

全仏オープンテニス決勝はナダル選手が制し、12度目の優勝。

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今回の全仏は準々決勝くらいから見ていたが、クレーコートの物理法則を支配してるかのようなナダル選手に、他の選手が勝てるイメージがまったく湧いてこない感じだった。

そういう意味では決勝のティーム選手は1セット取ったし、まぁそれで本気にさせてしまった鬼ナダルに後半ボコボコにされたとはいえ、チャンスも何度か作ってすごく善戦していて、いい決勝戦でした。

集中力がすごい

テニスのトッププロはナダル選手にしてもジョコビッチ選手、フェデラー選手にしてもとにかく集中力がすごいと感じます。
技量とか体力も当然圧倒的なのでしょうが、畑違いの自分から見てもわかる部分としてはやはり集中力!

僕自身、あのような集中力が欲しいと思い修業中、勉強中ですが、現時点で掴んでいる範囲で、集中力の高め方を書きます。

余計な物を排除

視界をシンプルに

まず、視界から余計な物を排除する

勉強やデスクワークなら、机の上がごちゃごちゃしてたり、パソコン上に無駄なアイコン、余計なウィンドウがあると意識が分散してしまう。
「注意が別のものに向いて、また集中すべき対象に戻る」という小さなプロセスが積み重なることで意志力思考力が削られていく。

音楽もよくない・・・が

そして聴覚も同じように、余計な刺激を入れない方がいい。
つまり音楽やテレビ、ラジオをかけっぱなしにするのも基本的には良くない。
集中を削がれるか、注意を音源に向けられてしまう。

しかし音楽をかけてるほうが集中できる、という人もいると思う。
確かに、基本的には静かな方が集中できるタイプである僕も、たまに音楽をかけてる方が集中できる時がある。
それはたぶん、脳内メモリの一部をリスニングに使用することで逆に雑念ソフトウェア(?)が立ち上がるリソースを潰してるような感じだ。

雑念を消す

これ出来たら苦労ねぇよ、ということですが。
とはいえいくつかできることはありまして。
さっき書いた「音楽で雑念が湧く余裕を消す」っていうのもテクニックの一つ。
仏教僧がお経を唱和してるのもたぶん無言でじーっとしてたら雑念湧いてくるからかと。

外部刺激遮断でリフレッシュ

手軽なのは、しばらく情報とか刺激をシャットアウトすることです。
具体的にはネットファスティング(ネット断ち)がおすすめ。
パソコンやスマホでネットやSNSやら見るのを一時的に制限するんですね。

これは「つい見てしまう」とか「見始めたら止まらない」とかいった状態を防止することで本来取り組むべきことに集中できる、というのもありますが、情報過多の現代で常にデータがダウンロードされまくっててごちゃごちゃしてる脳内メモリやHDDをクリーンアップしたりデフラグすることで、雑念が湧きにくくなる効果があるように思う。

なのでネットに限らずTVも見ない方がいいし、出来れば人と話もしない方がいい。
仏教僧が人里離れて山にこもるのはこれもあるかと。

普通に社会生活してると難しいことですけど、極めて高い集中力が必要なときには、事前に少しでもこういう時間を作れると、コンディションが変わってくると思います。

無我夢中で無心に

他にも短時間・高負荷のトレーニングとか激しい稽古によって肉体を限界まで追い込んで思考力を奪う、というのも手です。
それ雑念がないっていうか、なんにも考えれてない状態なだけじゃねえの?という声が聞こえてきそうですが、頭使いすぎてボーっとしてたり、長時間の肉体の酷使でじわじわ疲弊してボーっとしてるのとは違う感じです。 

もちろん思考力が働かない状態ではハイパフォーマンスを発揮できないのですが、まずは無我夢中になるのが重要で、いったん思考力を振り切って本能に任せて無心に集中する感覚をつかむと、突破できるところがある。

そしてその突破感をもとに深く集中できるようになると、究極の集中状態である「フロー」とか「ゾーン」に入れる道が開けてくると思います。

あるいはガンダムOO的に「反射と思考の融合だ」でもいいです。
完璧な超兵になるためにはいったんアレルヤ(理性)にどいてもらって、ハレルヤ(本能)を呼び出せるようにならないといけないのです。
最終的には髪をかき上げて融合出来ればベストでしょう(なんの話だ

集中には環境や技術や訓練が必要

というわけで、高い集中力を発揮するためには訓練や技術(知識)が必要です。

他にも「一点をじーっと見つめる訓練」とか、「集中する前にルーティンを行う」とかいろいろあると思います。

よく「集中しろ!」とか怒鳴ってる指導者がいると思いますが、しろ!と言って出来れば苦労しません。

集中するのは「環境・技術・力」だと思って日々環境を整え、練習し、訓練して鍛えていきましょう。

 

 参考図書

kindle

全仏オープンテニス準決勝ナダルvsフェデラー

突風吹き荒び、砂塵舞う全仏オープンテニス準決勝、ナダルvsフェデラー

終わってみればストレート勝ちのスコアになったが、内容は高度な攻防戦で非常に見ごたえがあった。

テニスのトッププロたちを見ていていつも感動するのは、その圧倒的な集中力と、諦めない心。

重要な場面で、極めて正確で強力なショットを打つ。

0-40の場面でも、諦めずに食らいつき、逆転する。

高度なテクニックによる華麗なプレーと、必死でボールを追いかけ何とか打ち返す泥臭さを併せ持つ。

常勝チャンピオンたちの勝ちに行くメンタル、姿勢の凄みを感じた。

 

最近Excelを勉強してます

パソコンに関しては本体自作したり、Webサイト作ったり、動画編集・変換したり、一応平均的な人以上には使える部類だと思う。

会社勤めしてた時も、どちらかといえば詳しい部類だった。タイピングも速いし。

しかし・・・

officeは不得手だった

WordやExcelに関しては直感的に使ってるだけで、詳しい機能とか知らずになんとなく使っていた。

とくにExcelはよくわかってなかったので、出来上がってるフォーマットに入力するだけならいいが、作り直したりややこしいことを依頼されたり、イレギュラーがあったら困った。
表を作るのにExcel使わず、メモ帳でHTMLのテーブルタグ使って作ったこともあったなぁ。
まぁそれはどうかと思うが・・・・Wordでも表は作れるんだし・・・

自分のPCにはoffice入れてない

そもそも今まで自分のパソコンにマイクロソフトのオフィスソフトが入ってたことが無い。

メーカー製PC購入したらプリインストールされてたりするが、最初のパソコンはメーカー製だったものの安さ重視でoffice入ってないモデルを買ったし、自作するようになってからは当然余計なソフトは入れない。
フリーのOpenOffice使ったり、今ならGoogleクラウドサービスでドキュメントやスプレッドシートを使えばほとんど困らないので、なにも高いOfficeを買う動機がなかった。

しかしこれから、仕事関係でWordやExcelを使ってくれと言われる機会もあるだろうと思い、ちゃんと勉強してみようと思った。
かと言ってOffice買うのは高いよなぁ、と思ってたら最近のofficeは年払いのサブスクリプションになってるようで、officeソフトを丸ごと買うよりは安い。

それでも年1万円以上するので、買い切りよりお得感あるか、と言えばそうでもないなぁと思っていたが、「お名前.com」で月に千円弱で契約できるサービスがあると知り、月額課金なら短期集中で勉強してサッと辞めれば出費が抑えられるな、と利用させてもらっている。

「お名前.com」ってドメインとか売ってる会社だったはずだけど、やっぱ今どきはどこもいろんなサービスやってるんですねぇ

教材はMOSのテキスト

パソコン(Windows)の扱い自体には慣れてるんで、いまさらタブがどうのウインドウがどうの保存の仕方がどうの書いてある入門書は不要と思い、Officeの資格試験であるMOSの問題集を買った。

まぁ一応タブがどうの保存の仕方がどうの・・・というとこまで丁寧に説明してくれてはいるが、実践的内容で、実際に手を動かしながら学んでいけるのでわかりやすい。

あーこれ会社員時代に知ってたら顛末書や報告書やらもっと効率的でキレイに作れたのになー

と思う機能や技があって勉強してて面白い。
ん?これ奴隷根性かな?
いや、仕事をよりよくやろうとするジャパニーズスピリッツです。
あるいは知的好奇心です。もしくは美的感覚です。

実践+体系的学習

なんでもそうですが、実践と体系的学習、どっちも大事ですな。

現場で実用のために触ってたら感覚で使えるようになる部分もあって、それは頭でわかってるのと違って身につくのだけど、必要なことしかやらないから幅は狭い。

逆に体系的学習しかしてないと、知ってはいるけど使えない、みたいなことになる。

全体と部分の往復、俯瞰と深堀り・・・

時間が有限なのがネックですけどね。

書道

いきなり攻撃的なこと書きますが。
現代日本って、ほんと字が下手な人が多いですよね。

別に書の技法を外していても、丁寧に書いてる人や工夫してカッコよく書いてる人、かわいく書いてる人はまだいいんですけどね。
明らかに汚い字、雑な字、崩壊してる字を書く人が多すぎる。

基礎教養としての書が失われている

僕はまぁ、他人から字が綺麗だと言われる。
芸術家としての書家レベルではないにしても、特技と言っていいくらいには上手い。
しかし昨年、靖国神社へ参拝し、遊就館で昭和の軍人さんたちの手紙や遺書などを見たときには思った。
昭和前期の水準だと、僕は中の上くらいだろう、と。

現代であれば達筆と言われるであろう字が標準なのだ。
しかも文章自体すばらしくレベルが高い。

そういった物を書いたのは軍人の中でもエリート層だったかもしれないが、少なくとも文学者や書道家ではなかったはずだ。
戦前日本の文化水準がとてつもなく高く、教養が広く基礎とされていたことを感じる。

対して現代日本では、裕福な家庭で育ったであろう高学歴の人たちですら、見るに堪えない字を書いている。

デジタル時代に手による”書”が必要か

 

 

この時代に黒板を板書させてる授業は無駄。データでタブレットに配信するか、写真で撮ればいい。

 

 

文章はパソコンスマホで書けばいいし、情報伝達はメールやLINEでいい。手書きの履歴書とか非効率。文字を書くシチュエーションなどもはやない。

 

 

 

僕は堀江貴文さんとかが言いそうな、こういう先進的な考え方は好きだ。
これからどんどん文字を書く機会は減少し、書字の必要性は薄れていくだろう。

しかし僕は、だからこそ手で字を書く数少ない機会を大事にしてほしいと思っている。

たとえば名前を書くとき。
個人にとっての看板だ。屋号だ。少しはカッコよくしたいと思わないだろうか。

たとえば抱負を書くとき。
そこで書く字は、情報の伝達のための文字ではない。自己表現だ。心を込めて書きたいと思わないだろうか。

丁寧に心を込めて書きさえすれば、技術は要らない・・・か?

絵でも、書でも、音楽でも、よく言われることがある。

「小手先のテクニックにこだわらず、心を込めて表現したものがいい」

なるほど、細かい技法にとらわれ、伝えたい想いや届けたい相手を見失った表現は虚しいかもしれない。

しかしパッションだけでも受け手を感動させることなど出来はしない。
所詮その場限りの真剣さは、修練を積み重ねたものの厚み・重みを持つことはない。

ラクスクラインが言っていたように、

「想いだけでも、力だけでもダメなのです。」

昔と違って日常から手書きする機会が減っているからこそ、習字教室に通うなり、何か書くときに集中して書くなり、意識して練習する機会をつくらねばならない。

道としての書

江戸時代以降、戦の機会が無くなり、明治維新以降、近代兵器に通用せず、実用としてはその存在意義を低下させた武術。

しかし永き年月に練り上げられた高度な技術と精神性は、人を磨く道としてその価値を現代にも保っている。

先進技術に追いやられることで、書もまた、そういう存在になっていくのかと思えば、令和こそ「書道」というものの価値を世に問うていく時代になるのかもしれない。

 

 

武道における”氣”の話 ~非科学的?怪しい?~

東洋における武道、武術において、””というものを語ることがあります。
中国武術だと発勁寸勁とかの””とかも言いますね。
「武術と格闘技の違いは氣にこそある」と言う人もいます。

これらは怪しいのでしょうか。非実在の謎物質とか架空のエネルギーを妄想で語ってるだけでしょうか。
僕自身、武道家としてはまだまだ若輩で、奧妙を極めたわけでもなんでもないので、あくまで現時点で到達している段階での理解になりますが、考えを書いてみます。

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かめはめ波とか波動拳を撃つ話ではない

世界のどこかに「気功で触れずに相手を吹き飛ばす」絶技の使い手がいらっしゃるやもしれませんが、まぁそれはここでは考慮しないことにします。

個人的にはそういうのは眉唾だと思ってますが。

体の中を流れる氣

身体を氣で満たす。丹田から拳に氣を伝える。指先まで氣を通す。氣の流れを読む。
武術とかで言うのはだいたいこんな感じ。

で、この氣ってなんでしょうか。
エネルギー的なやつ?

科学的に言うなら、神経は電信号を伝えてるようですから、確かに身体には氣が流れてると言えそうです。

そしてその神経の電気信号で体が動いて運動エネルギーが発生して仕事をするので、エネルギー的な意味とも言えそうです。

そして僕の理解は、そこらへんをまとめ上げたイメージこそが氣の正体の一つではないかな、と思っています。

氣の正体はイメージ!

氣の流れをイメージすると、身体操作やそれに伴う運動エネルギーの伝達がスムーズになる感じがします。

そんな科学的やあらへん概念でイメージなんか出来へんわ!っていう人も多いと思います。
僕も科学は大好きです。けど格闘の現場を科学的、物理的に考えると大変ですよ。

相手の道着をつかんだ手を単純に引っ張る動作ですら、
「大胸筋上腕二頭筋三頭筋広背筋三角筋僧帽筋たちの収縮」という別々のベクトルを全部合成しつつ、骨格のテコとか計算しつつ、空気抵抗(動作の速さや気温、湿度で変わる)、地球の自転の遠心力と重力とコリオリの力とか月の重力とかを考慮した演算をする。

こんなん学園都市のレベル5しか出来ません。無理ゲーです。
(「とある魔術の禁書目録」「一方通行」)

もちろん動きや技を研究、分析するときはそういった個別の力を分解して理解することは大事だと思いますが、格闘の現場ではそういった複雑な物理現象をイメージで捉えるのも有効ではないでしょうか。

氣の概念も受け入れてみよう

というわけで武道武術を習っていて”氣”の概念が登場したら、物理好きな人も

「うわっ、スピリチュアルやオカルトや眉唾や」

ってアレルギー反応せず、現実の複雑性を理解しやすくするためのたとえ話として受け取って有効に活用してみてはいかがでしょうか。

ちなみに僕はこの記事に書いたような態度でありつつも、なんとなく”氣”の存在を信じたり感じたりもしています。

神社とか山や森などの自然の中で呼吸すると身体に清浄な氣が満ちる気がしますし、スタミナや筋持久力といった体力とは別の部分で氣が消耗したり満ちたり、という感覚はある気がしてます。

これだって「荘厳なものや大自然のような畏怖を覚える光景を見るとストレスが軽減する」という話があるので、科学的には「氣が満ちてるんじゃなくてメンタルの状態が良くなってるだけ」とも言えますが。

 

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『メモの魔力』感想

メモの魔力 The Magic of Memos (NewsPicks Book)

だいぶ前に読んでいたが、

「ま、ビジネス書だろノウハウ本だろ」

って感じで情報だけ拾うようにパパっと速読して、「まぁ目新しいこと書いてるわけじゃないけどいい内容だな」くらいの感じで、メモとか抽象化とか分析とかは実践させてもらっていたが、最近ふと読み返してみた。

前田さんは動画で何度か見てるので雰囲気はわかってたけれど、文章からこんなに優しい人柄が溢れ出していたとは驚き。
成功者にありがちなトゲトゲしさや強引さを感じない、包み込むようなポジティブさがとても魅力的で、それが文体に表れていて、読み物として非常に心地いい。

否定的なことを全然言わないんですよね。 すべてを認めて、すべて肯定してる感じ。素敵だ。

僕自身はどっちかというとMなので、堀江貴文さんとか見城徹さんみたいなキツいキャラも好きですけどね。

でも甘いのとは違う。厳しさはある。それは「徹底して妥協を許さない」ところなんでしょうね。


情報だけゲットできればいい本もあるけど、やっぱりじっくり読み込む読書も大事だなぁ。

幕末の長岡藩家老、河井継之助によれば

”漫然多読するも何の益かあらん。読書の益は細心精読するにあり”

だそうで。

 

運動が苦手な人がまずやるべきこと2

前回、基礎的な筋トレの話を書きました。

今回は身体の動かし方、運動神経とか身体操法とかに関わる”柔軟性”について。

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柔軟性

前回も書いたが、体が硬いと

  1. 動きが悪くなる
  2. 感覚のセンサーが鈍くなってしまう
  3. 疲れやすく、回復力も低くなる
  4. 怪我をしやすくなる
  5. 筋肉がコったり張ったりして不快

体は柔らかいに越したことはない。もちろんフィギュアスケーターやバレエの人たちみたいな超人的柔軟性は目指さなくていいけど。

軟らかすぎると怪我しやすい、という話も聞きますし。

動きが悪くなる

これはもう直感的にわかりそうな感じですが、関節の可動域が少ないというだけじゃなく、動かせる範囲の動きについても動きにくくなります。

筋肉は収縮して(ちぢまって)動くわけですが、筋肉が硬いということは常に収縮してしまっているので、動かすべき時に動かないわけですね。

身体のセンサーが鈍くなってしまう

我々は目から情報を得ているだけではなく、皮膚の接触感覚や、外からかけられる力、運動の中で発生する慣性や重力を体が感じて、周りの状況や自分の状態を把握している。

しかし普段から筋肉が緊張していると、体が情報をキャッチしにくくなっており、結果、バランスが悪くなったり、相手の行動を察知できなかったりする。

疲れやすく、回復力も低くなる

筋肉が硬いと血流が悪い。

疲労物質を除去するのも、損傷した筋肉を修復する栄養を運ぶのも血管を流れる血液なので、筋肉が疲労するのも早けりゃ回復するのも遅くなる。

怪我をしやすくなる

これに関しては、上に書いた通り、軟らか過ぎると怪我しやすくなる、みたいな話があるのだが、それは通常の範囲を超える可動をしているときにあらぬ方向から力がかかると、構造上耐えられなくて壊れる感じのようで。

普通の人は、あるいは運動の習慣がない人はけっこう身体がカチカチになってたりするので、逆の心配をすべきですね。

力がかかった時に本来ならグーっと伸びるべき時に伸びず、ブチッとイってしまうパターン。

あるいは体勢が崩れたとき、本来ならしなやかに姿勢を立て直したり安全な体勢で倒れたりするべきところ、スムーズに体が動かず危険な角度で急所(頭部や関節や内臓)にダメージを負う。

緊急回避の性能は、柔軟性がけっこう関わってますよね。

筋肉がコったり張ったりして不快

みんな気付いてないだけで、筋肉は緊張、硬直してます。

けど、実は症状で表れてないですか?

肩こり、肩が痛い、腰痛、首がダルい、脚がダルい。

ここらへん、ほとんど筋肉がこってたり、張ってたりするのが原因ですよ。

肩や首周りの筋肉の硬さは頭痛とかの原因だったりもしますし、背中や脚の硬さが腰痛の原因だったりと、一つの部位の不具合が様々な症状、苦痛をもたらしてます。

頭痛がするから痛み止め飲んだり、腰痛だから手術したり、とかみんなよくやってるけど、正直ほとんどストレッチしたら治るんじゃねーかって人が多いと思う。

とにかくストレッチを習慣にしよう

運動音痴の人は自分の筋肉がどう動くとか、どこまで動くとかもよくわかってないことが多いと思う。

ストレッチをやってると、だんだん伸びてる筋肉や引っ張ってる筋肉を感じられるようになってきて、自分の筋肉と対話できるようになってくる。

はじめは動画とか見ながら、あるいは人と話しながら、じっくり時間かけてやるのがいいけど、筋肉と対話するようになってくると雑音が邪魔になってきて、集中してくるようになってくる。

そうなったらだんだんヨガっぽくなってくるんだろうと思うが、それはまた別のお話で。

具体的にはどうすれば?

ストレッチの具体的なやり方については、人任せだがYouTubeとかツイッターで見るのがいいと思う。

やっぱりビジュアルで理解するとやりやすい。

「なぁさん|ストレッチトレーナー」のツイッターとかは、筋肉の図解が色付きで載ってるし、動画もあるのですごくわかりやすい↓

https://twitter.com/nst_nakata?lang=ja

特に「筋肉の図解」は、身体の構造の知識が少ない人にとってたぶんめっちゃ重要。

皮膚の下で肉が分かれてるのを、体動かす習慣のない人はあんま意識してないんじゃないかな。

おんなじ形でストレッチしてても、どこを伸ばしてるのか、どういう角度に力かけたらいいのか、とかは筋肉の付き方がわかってないと効果的にできない。

体の構造をイメージしながら、自分の肉体からくる感覚にも耳を澄ませつつ、じっくり伸ばしていきましょう。

 

 

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