武道における”氣”の話 ~非科学的?怪しい?~
東洋における武道、武術において、”氣”というものを語ることがあります。
中国武術だと発勁、寸勁とかの”勁”とかも言いますね。
「武術と格闘技の違いは氣にこそある」と言う人もいます。
これらは怪しいのでしょうか。非実在の謎物質とか架空のエネルギーを妄想で語ってるだけでしょうか。
僕自身、武道家としてはまだまだ若輩で、奧妙を極めたわけでもなんでもないので、あくまで現時点で到達している段階での理解になりますが、考えを書いてみます。
かめはめ波とか波動拳を撃つ話ではない
世界のどこかに「気功で触れずに相手を吹き飛ばす」絶技の使い手がいらっしゃるやもしれませんが、まぁそれはここでは考慮しないことにします。
個人的にはそういうのは眉唾だと思ってますが。
体の中を流れる氣
身体を氣で満たす。丹田から拳に氣を伝える。指先まで氣を通す。氣の流れを読む。
武術とかで言うのはだいたいこんな感じ。
で、この氣ってなんでしょうか。
エネルギー的なやつ?
科学的に言うなら、神経は電気信号を伝えてるようですから、確かに身体には氣が流れてると言えそうです。
そしてその神経の電気信号で体が動いて運動エネルギーが発生して仕事をするので、エネルギー的な意味とも言えそうです。
そして僕の理解は、そこらへんをまとめ上げたイメージこそが氣の正体の一つではないかな、と思っています。
氣の正体はイメージ!
氣の流れをイメージすると、身体操作やそれに伴う運動エネルギーの伝達がスムーズになる感じがします。
そんな科学的やあらへん概念でイメージなんか出来へんわ!っていう人も多いと思います。
僕も科学は大好きです。けど格闘の現場を科学的、物理的に考えると大変ですよ。
相手の道着をつかんだ手を単純に引っ張る動作ですら、
「大胸筋上腕二頭筋三頭筋広背筋三角筋僧帽筋たちの収縮」という別々のベクトルを全部合成しつつ、骨格のテコとか計算しつつ、空気抵抗(動作の速さや気温、湿度で変わる)、地球の自転の遠心力と重力とコリオリの力とか月の重力とかを考慮した演算をする。
こんなん学園都市のレベル5※しか出来ません。無理ゲーです。
(「とある魔術の禁書目録」「一方通行」)
もちろん動きや技を研究、分析するときはそういった個別の力を分解して理解することは大事だと思いますが、格闘の現場ではそういった複雑な物理現象をイメージで捉えるのも有効ではないでしょうか。
氣の概念も受け入れてみよう
というわけで武道武術を習っていて”氣”の概念が登場したら、物理好きな人も
「うわっ、スピリチュアルやオカルトや眉唾や」
ってアレルギー反応せず、現実の複雑性を理解しやすくするためのたとえ話として受け取って有効に活用してみてはいかがでしょうか。
ちなみに僕はこの記事に書いたような態度でありつつも、なんとなく”氣”の存在を信じたり感じたりもしています。
神社とか山や森などの自然の中で呼吸すると身体に清浄な氣が満ちる気がしますし、スタミナや筋持久力といった体力とは別の部分で氣が消耗したり満ちたり、という感覚はある気がしてます。
これだって「荘厳なものや大自然のような畏怖を覚える光景を見るとストレスが軽減する」という話があるので、科学的には「氣が満ちてるんじゃなくてメンタルの状態が良くなってるだけ」とも言えますが。