超AI時代に武道が示す生き方
数年前から、AIが人間を超えるという話題が盛り上がっていますね。
僕がAIのことを強烈に意識したのは囲碁でトッププロが負けたときでしょうか。
スーパーコンピューターのごとき頭脳とトップアスリート並みの精神力を兼ね備えてるイメージだった囲碁棋士が思いのほか早く超えられてしまったことで、AIもヤバイ領域に来たなーって感じがしてきました。
これからホワイトカラーの仕事などもAIでどんどんできるようになっていくようで、知性で機械に負けるとなると人間の存在意義とか、テクノロジーとどう向き合っていったらいいのかとか、ずいぶん議論も盛んですね。
しかしあらためて考えると、武道家はここらへんの葛藤はとうの昔に終えてるんですよね。
槍や刀は戊辰戦争でミニエー銃やガトリング砲、アームストロング砲にこてんぱんにされて、屈強な薩摩武士も西南戦争でまだまだ作り立てでしかなかった近代式軍隊に敗北。
しかしそもそも平和で実用的には武術を必要としなかった江戸時代260年のあいだに、儒教とか禅とかも取り入れつつ精神修業や人間教育みたいな文化を醸成してたために、武道は明治維新や大東亜戦争敗戦を経た現代にも価値をもって残り続けているんじゃなかろうか。
平成が終わり、訪れる次の時代。
人間という存在のあり方が問い直されることになるだろうが、人が人として生きるということについて考えるときに、
「闘争という原始性」「技という文明性」「精神修養という文化性」
を兼ね備えた武道は、一つのヒントになるのではないかと思っています。
武道に触れてみようと思われた方は、新年度、改元を迎えるこの時期!
心機一転、ぜひ始めてみてください!