文武両道 臥薪嘗胆

日々の修業や生活の中で考えたことや思ったことを綴っていきます

集中型情報処理と分散型情報処理

つい最近までは、「独裁と民主主義」というと、民主主義の方が良くて、独裁は悪だ、と考える人が多かったように思う。(想像だけで、実際の統計は知らない)

ただまぁ近ごろ民主主義の機能不全は明らかですし、

「独裁の方が意思決定速いし実行力あるよ」

「いや、でも独裁の弊害は歴史上明らかだろ」

みたいな感じで、だんだん新しい意識決定の形、社会合意システムを模索する動きも出てきたんじゃないでしょうか。

 

先日読んだ『ホモ・デウス』で「集中型情報処理」と「分散型情報処理」の話が出てきたんですが、政治・統治体制に限らず、この視点で見ると面白いのは武道の世界。

 

柔道についていえば、昔はともかく、現在では全日本柔道連盟および講道館という中心的組織があり集中型のようですが、技術体系については完全に分散型。

柔道という流派の中で「背負投」や「内股」「大外刈」みたいな統一された技があるように見えますが、同じ背負投でも道場ごと、なんなら個人ごとで全く違う理合いで投げてたりする。

形同じやけど原理的には別の技やろ、って感じだ。

それぞれが独自工夫して技術を練り上げ、試合で公開したり指導したりして研究・共有されて、また変化していく。まさに分散型情報処理。

 

逆に空手は組織的には分裂しまくってるそうで、団体ごとにそれぞれ理念があり、異なる方針で稽古、試合をしていると聞く。

別々のルール、つまり異なる状況想定でそれぞれ試行を重ね、空手という流派全体での対応力を向上させている、まさに分散型情報処理といえるんじゃないでしょうか。

ここらへん、柔道などは中央集権的にトップダウンで「明日から脚持つの禁止な」って言われてみんな一斉に従ってるあたり、よく考えたら変かもしれない。

 

一方、空手は技術的には割と集中型のようだ。

各々が掴んでいるコツなどに差異はあるでしょうが、各人ごとにまるで違う理合いで正拳突きや前蹴り、回し蹴りをしているというわけではなさそう。

 

それぞれに一長一短がある。

他の組織や別の世界にも目を向けて、なるべく視野を広く持ち、柔軟に考えていきたいものだなぁ

 

 

 

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