心動かされるもの・・・「物語性」と「それ自体の凄み」
気持ちいい相撲を取るし、インタビューでいつも超硬派なコメントをする彼には注目していました。
目の前に集中する姿勢、見習いたいです!
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先日イチロー選手が引退され、ニュースになっていましたね。
圧倒的な実績を持つ彼の、超トップアスリートとしての考え方、非常に長い現役選手生活で練り上げられた深い哲学など、心に響くものがあるのでしょう。
多くの人が彼の引退会見を見て感銘を受けたり、イチロー選手へねぎらいの言葉を言わずにはいられないような様子。
僕もイチロー選手のドキュメンタリー番組を見て大いに感銘を受けたことがありますし、参考にしている考え方もあります。
しかし僕は野球をまず見ないし、イチロー選手のプレイもまともに見たことがない。
たとえば僕はテニスのジョコビッチ選手については、彼が書いた本を読んだ上で、彼のプレイを見てもいる。
実際にプレイを観れば、やはり彼の哲学がプレイに表出していて、日々の努力の結実に優勝を手にしている姿を目の当たりにできる。
イチロー選手に対してはそうじゃない。
僕より野球を見ている人たちでも、イチロー選手のことをオリックス時代からずっと見てるとか、メジャーに行ってからも有料放送でずっと出場試合応援してきたって人は、そんなに多くないんじゃないですかね。
にもかかわらず、イチロー選手の言葉に、姿に、みんな心を動かされている。
何がそうさせるのかなぁ、と思って考えてたら、ふと落合陽一さんが著書『魔法の世紀』(PLANETS)で、「文脈のゲーム」と「原理のゲーム」という概念を書かれていたのを思い出した。
どうやら人の心を動かすものには、「物語性」と「それ自体の凄み」という別の要素があるようで。
引退会見を見て「スゲーいいこと言ってる!」って感動するのは、イチロー選手の長い選手生活や深い思考、圧倒的努力によって裏打ちされてる言葉のエネルギーに感動しているわけで、「それ自体の凄み」を感じている。
プレイを見て「スゲー超絶上手ぇ!」っていうのもパフォーマンス「それ自体の凄み」に原初的な感動を抱いている。
イチロー選手の試合をオリックス時代から渡米後もずっと見続けてきて、最後の打席も見届けたうえで引退会見を観たときに感動するのは「物語性」に心を動かされている。
イチロー選手のプレイスタイルやプロ意識、哲学、技術などが、これまでの野球界のなにを受け継いでいて、他の野球選手たちと何が違うのか、といったところに非凡性や深み、高みを感じてスゲーってなるのは「文脈」の部分ですよね。
つまりは
細けーことはいーんだよ!スゲーもんはスゲー!って思う感覚も大事だし、
積み重なってきたもの、連なってきたものに感動するのもまた”いとをかし”。
どっちかだけでもいいし、両方合わせてもいい。
大事なのは「どっちもある」ってことを認識しておくことかな、と考えました。