文武両道 臥薪嘗胆

日々の修業や生活の中で考えたことや思ったことを綴っていきます

香港の話~個人の信念と忠誠心のはざまで

いま、香港で大規模なデモが起きている。

中国という地域は古代からずっと、地方の民衆反乱から国家転覆したり、政権が弱体化して滅亡したりを何度もやってきてるので、今回もそういう歴史的ムーブメントになりうるかもしれないな、と思って見ています。

ちなみに日本では民衆反乱が国家を変えた例はほとんどない。
既存勢力の勝敗や、クーデターで変わっている。
今回の件で、日本人も立ち上がるべきだ!という意見をよく目にするが、日本には日本にあったやり方を歴史から学んでやらなければならない。

民衆の正義と国家の正義、警察官の立場

今回の件は香港市民に頑張ってほしいと思う。
しかし警察が民衆を弾圧している、ひどい暴力で鎮圧しようとしている、とネット上で騒がれていることについて、僕は少し思うところがあります。

例えば、ゲスな白人警官が無実の黒人をリンチするような悪行は許されることじゃないし完全否定してしかるべき行為です。

しかし「デモを組織(国)の命令に従い鎮圧する」のは完全否定すべき行為だろうか。

警察官は忠誠心のもと、仕事でやっている

たしかに、武力を持たない民衆に警察が実力行使をするのは、弾圧でしょう。

個人的にそれが良くないことだと思うのはまっとうです。僕もそう思います。

一方で治安・秩序の維持、国家体制の存続という正義から見れば、度を超えたデモは鎮圧すべきと考えるのは当然ですよね。

ここで、組織人として(公務員として)上から命令されたときに従わないというのが、果たして正しいかどうか、ということです。

無意味に暴力を振るっている警官(に成りすました人民解放軍?)も多いようですが、真面目に鎮圧してる警官は、仕事をしているわけですね。

僕は友人の勧めがあって警察試験を受けて、筆記試験は通っていました。
柔道も有段者でしたし、警察官になろうと思えばなれたかもしれませんが、辞退してなりませんでした。

自分の正義と組織(国家)の正義がかみ合わなかったときに、組織人として市民を弾圧する側に回ることに抵抗があったからです。

道徳心の話をするときに、忠誠心を考慮しないわけにはいかないと思います。

個人の信念と忠誠心のはざまで

警察官は基本的に、市民の生活を守ってくれている、立派なお仕事です。
友人にも警察官が何人もおり、彼らの仕事に敬意を持っています。

しかし権力装置の一つだという側面もまた認識しておかなければなりません。
普段からこういうことを言いそうなリベラル派とは思想的に距離がある僕ですが、物事はそう単純に右や左、保守やリベラルで分けられるものでもないでしょう。

個人の信念国家や組織への忠誠心、両方とも大事だと思うからこそ、立場ごとに取るべきスタンスが違うことも理解します。

問題は、立場が違う者同士を対立させて漁夫の利を得ているヤツらがいるということです。

それが世界を歪ませているということです。

日本人も、立場の違う者同士でいがみ合っていないで、潰すべき歪みを見据えて戦い方を考えなければならないのだと思います。
それが本当の「立ち上がる」ことだと思います。