源流を知る
先日の欧州旅行におけるパリで、シテ・ドゥ・ラ・ミュージックという音楽博物館に行ってきた。
展示されていたのはピアノやヴァイオリン、ドラム等、様々な楽器についてのルーツ、先祖、原型的な楽器。
それらが時代を経るとともに次第に現代の形に近いモノになっていく進化と変遷を、進みながら見ていくことができる。
さながら、英霊の宝具の原型が収められているゲートオブバビロンといった感じだ。
ただ見るだけではなく、貸し出しの音声デバイスで各楽器の音を聞くことができた。
チェンバロなど、ピアノの原型の楽器は弦をはじくような音を出しており、まさに弦楽器だった。
鍵盤を押して音が出てくるのは同じだが、今のピアノはハンマーで弦を叩いて音を出しており、構造が違い、音の質も違う。
美しくも単調な音色だった楽器が、次第に豊かな音色を奏でるようになっていく進化の過程はとても興味深いものだった。
その後、調律師さんの工房でチェンバロを触らせていただく機会にも恵まれ、ピアノとは全く違う打鍵の感触と、弦楽器的な音の響きを味わわせてもらうことができた。
僕がこれからピアノを弾くときには、鍵盤の先につながる弦やハンマーなどを意識して音を奏でることだろう。
それはこれまでの演奏とは違ったものになるはずだ。
源流をたどる。歴史を知る。
その価値をあらためて味わえたと思う。
これは武道でも同じで、現代の競技柔道をやっていても、昭和時代の柔道や明治における講道館の成り立ち、その元になった起倒流や天神真楊流はじめ古流柔術などへの興味・関心がきっと生きるはず。
落合陽一氏はアートについて
「人類のやってきた長い蓄積に関する理解と尊敬ということと、自分がその末端にしかないという自覚が、今までにあるトライ&エラーがもたらしてきた価値をどれだけ肯定するかということにつながる。アートは自己肯定から始まるというよりは、本質的な世界の脈々とした流れの中にある自分への理解から始まる」
と言っていたが、まさにそういうものを感じた経験だった。
今しか見えていなければ、世界は理解できないと思う。